診断が確定するまでの怖さとその先
診断が確定し、入院や手術が決まるまでの出来事になります。
疑いからハッキリと確定するまでが、気持ちの面で最初の壁になると感じました。
早く結果を聞いて、楽になりたかったです。結果によっては楽にとは言えないかもしれないですが。
確定してからは、恐怖も大きかったですが入院予定日まで平静を装って出勤することがとても大変でした。
この先の人生が見えない、あとどれ位生きられるのか?ということを思っていましたが、考えても答えは出ませんでした。
専門外来への受診
専門外来の先生からは、おそらく「がん」だろうと言われました。
その日は15時からの予約でした。
緊張しながら待ちます。
1時間半程待ったでしょうか。
病院外来の待合室は私と家族だけになりました。
時計の針ばかりを見ていました。
担当の看護師さんも「大事な時なのにね、ごめんね」と声をかけてくれました。
待っている間は、乳がんと言われるだろうと思う気持ちが8割くらい。
2割は、大丈夫かもしれないという気持ちの間で揺れていました。
ほぼ覚悟もしていたつもりでした。
でもどんなに強がっても、本当は怖くて、逃げたくて仕方なかった。
知りたいけど知りたくなかった。
涙が出そうになるのを必死にこらえていました。
すると、看護師さんより名前を呼ばれ診察室に入りました。
先生と少し話をした後、エコーをするので準備をするように言われました。
ベットに横になり、画像が写ります。
エコーを動かしながら説明をされ、これまでの検査や今の画像を見て「おそらく乳がんでしょう」と。
私は何と反応したらいいのか分からなくなり、本当なのか?といぶかしげな目を先生に向けていたと思います。
声が、出ませんでした。
頭がフリーズして、言葉を失うということを身をもって体験しました。
診断を確定するために、局所麻酔をして細胞を取るとのこと。
麻酔をされた後、「ガシャン!」と大きな音がし太めの針のようなもので(に見えた)取りました。
今日取った細胞を検査し、3週間後に確定した結果を聞くため予約を入れました。
乳がんと確定した
今後のこと
怖がっている暇はなく、あっという間に入院と手術の日程が決まりました。
結果を聞きに行きました。
今でもお世話になっている主治医と初めて会います。
「乳がんです。」と単刀直入に言われました。
1部分にしこりが出来るがんではなく、乳腺を這うようにして広がるものだそうで部分切除ではなく左乳房の手術で全摘出になるとのこと。
左胸を失う…。
この日まで、毎日の様にネットで乳がんのことを検索していたのですが、場合によっては部分切除で少しでも胸を温存出来ないか?と考えていました。
先に抗がん剤治療を行い、がんを小さくしてから取り出す方法もあることを知りました。やはり急に全て失うのは怖かったですし、胸がなくなった自分の姿がどのようになるのか想像出来なかったから。
28歳。
付き合っている人もいない。
結婚もしていない。
出産もしていない。
正直、赤ちゃんにあげることもなく一つ無くなっちゃうんだと思いました。
一度も使うことがなかったなって。
女性の象徴を失うことがショックでした。
ただ漠然とでしたが将来結婚は無理かもと頭をよぎりました。胸がないことを受け入れてくれる人なんている?と。
自分に起きていることではないように思え受け止めきれていなかったですし、受け止められなくて当然です。
ですが、「手術したくない!」とはなりませんでした。
手術をしなければ、病気が進行して未来が無くなる可能性があることが分かっていたので、生きるために選ばない選択肢はありませんでした。
未来が無くなることの方が恐ろしかったから。
死にたくなかった。
乳がんのステージやサブタイプについても話があり、
・ステージⅡ
・ルミナールB
・左腋窩(えきか)【左のわきの下のこと】にしこりあり→手術中にセンチネルリンパ節生検を行い腋窩リンパ節転移があるかどうかを確認すること。
女性ホルモンであるエストロゲンとプロゲステロンががんの増殖に影響するタイプ。増殖が活発で進行が速い。HER2(ハーツー)たんぱくについては陰性。
センチネルリンパ節とは、乳がんからがん細胞が最初に到達するリンパ節のこと。センチネルリンパ節の転移の有無を確認し、腋窩リンパ節の廓清(かくせい)をするかどうか判断される。腋窩リンパ節の廓清とは、わきの下のリンパ節を取ること。
転移していた場合は、術中に腋窩リンパ節を廓清すること、術後は抗がん剤、放射線、ホルモン治療の可能性があることも話がありました。
入院、手術の日程が決まり入院の説明を受けました。
上司への報告
乳がんの疑いがあり検査をしていることは事前に伝えていました。
乳がんで間違いなかったこと、まずは入院と手術の日程を報告しました。
診断書を持参しました。そこには病名「左乳癌」、その為にこれくらいの期間の療養が必要と書かれていました。
たった3文字の単語でしたが重すぎる3文字で、冷たく感じました。病院で告知されていても改めてがんなんだと思い知らされ話す声が震え、涙目になりながら話をしました。
今後の治療の予定として、長期に渡りお休みを頂く可能性があることがとても申し訳なく思っていました。人員がギリギリの中で組まれているので、休むことで迷惑をかけてしまう…。
上司はそんな私の気持ちを察し「しっかり治して、待ってるから。」と言って下さいました。感謝と早く元気になって恩返しをしたいと思いました。
入院まで
入院まで2週間ありました。
同じ部署の方に入院することになったことを話をし、引継ぎをお願いしました。
バタバタと決まったので驚かせ、とても迷惑を掛けてしまったと思います。
入院の前日まで変わらず仕事をしていました。
夜勤もしていたので、仕事中でも一人になると自然と涙が出てきて泣いていたことが多かったです。
その状況でよく仕事をしていたなと思いますが、ただ心を出来るだけ無にして何も考えないように入院までの日々をこなしていました。
一番の不安は手術から先のことの想像がつかなかったことです。
この先も忙しく仕事をして、たまには友人とお酒を飲んだり買い物に行ったりして当たり前の毎日が続いて行くと思っていました。
そして、病気が確定してからは「いつまで生きられるのかな」ということもよく考えていました。
何十年も先にあると思っていた死が目の前にあるように思え、ぼんやりしていたものだったものが、現実感を増して感じました。数か月後、来年に自分が生きているのか?もしかするといないのかもしれないと思っていました。
当たり前に続いて行くと思っていた日々がなくなるかもしれない。
でも、元々そんなのなかったんです。
明日が来るのは当たり前じゃない。
がんになって初めて気が付きました。
これらのことを考えなかった日はありませんでした。
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